2月1日から1週間がたちました。
我が家はあの日々から1年と1週間
が過ぎました。
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やっぱり受験の3日間は親の
人生の中でも
濃密な時間で、今年、娘の学校を
受験するブログを見つけては、
応援したい気持ちになりました。

昨日発売の『2月の勝者』、
また2023年組のブログを読んで
感じたのですが、熱いご家庭が
多いということ。
我が家は歓喜の涙も、
悲しみの涙もありませんでした。

埼玉1校(素敵だが通えない)→〇
2月1日(第2志望校)午前→〇
2月1日午後(志望していない)→補欠
2月2日(第1志望校)→‪✕‬
2月3日(第1志望校)→‪✕‬
と、いう結果でしたが、
埼玉受かっても、もったいないけど
通えないからお守りじゃないね、
模試だったかな、という感じ。
2月1日は、同日に
解答が配られていたため、算数の
出来を確信、理科の不安要素はありま
したが、過去問との相性
ってあるんだね、というくらい
最初から相性が良かった。
4教科均等配点で
算数に配点比重を置いてないこと、
算数は小問1から解けば道筋が
わかることなど娘には助かる
出題でした。だから娘自身、
合格と知ってもやっぱりね、
ホッとしたくらいの反応で。

不合格の第1志望校は、偏差値の割
に相性が悪い。何度過去問をやっても
10点ほど足りない。それも合格最低点
に。これはマズイと気づいてました
から、これまた、不合格?
やっぱりね、
という感じで、今更泣くほどでも
ない。本当にとれませんでしたからね。

じゃ、1日午後、
ここは安全校、ただ、進学実績は
程々のものの、イジメへの対応など
どうしても「?」が残っていたので
受験自体を迷いました。
でも必ず行き場を確保のつもりで。
しかし結果は補欠。1日夜に
私だけが結果を確認。
これにはあせりましたが、
家族にも誰にも結果は告げず。
娘には2日の受験終了後に
第2志望校の合格を先に告げ、
そのあと1日午後の補欠を
知らせました。
第2志望校が受かっていたので、
残念だけど、まあ、まあ、まあ、
という感じでした。

1日午前校の合格と
2日午前校の不合格は同日に。
明日も行くか、想定内だよね、
という程度。
だから本当に親子共に
割合、感情の起伏は
少なかったかもしれません。 
第2志望校は、4年の頃からの
熱望校でしたからもっと喜んで
おいておけばよかったと今になって
思いますが。

しかし、全落ちしていたら、
4日に、志望圏外の1日午後校を
5日に、付属のくせのない学校を
受験予定でした。
その2つの過去問はほとんどやってなかったので、かけでした。
見には行ってあったものの
どちらも娘の志望度合いも低かった
ですしね。本当に想像するのも
恐ろしいです。

2023年組のドラマに自分を重ね、
覚えている間に記録しようと
思いました。我が家の
1番のお守りは、
その塾のそのクラスでは代々Y60以下
に進学した人がいないということ
でした。これが心の支えでした。
実際、御三家は0でしたが
娘の代も全員60以上に行けました。
さあ、次は2024組の貴方です。